「アンジューの砦」とも呼ばれる城。アンジュー家のカルロ1世が、卵城やカプアーノ城より堅固な城を、と1279年に着工された。
カルロ1世の孫にあたるロベルト王の時代には、知識人や文化人の集う場でもあった。中には画家のジョットや、詩人のペトラルカ、ボッカッチョなどがいた。ロベルト王は彼らを手厚く庇護していた。
その後、アラゴン家との争いがくり広げられた際、城は大破してしまう。現在の姿は、新たな城主となったアラゴン家のアルフォンソ王が再建したもの。5本の円柱形の塔が城を囲む。西側の塔の間には、アルフォンソの凱旋門が設けられている。
大広間“バローニの間”の名は、バローニ(封建領主)たちの謀反の企みに気づいたアラゴンのフェランテ王が、甥の結婚を祝うという名目でこの部屋に領主たちを招き、その場で裏切り者たちを取り押さえた、というエピソードからきている。また、この城には、かつて“ワニの部屋”があり、ジョヴァンナ女王の哀れな愛人や王国に異を唱えるものたちが、ワニの犠牲になっていた、という言い伝えも残っている。
現在、城の一部は市立美術館として、パラティーナ礼拝堂などが公開されている。
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