ホーム > 東京の楽しみ方一覧へ > 上野公園 古刹めぐり
歴史ある社寺は京都だけでなく、東京にも存在します。特に、江戸城の鬼門(邪悪な鬼が出入りするとされる北東の方角)にあたり、鬼門除けのために寛永寺が建てられました。現在の上野公園はすべて寛永寺の境内地でした。戊辰戦争により、寛永寺の堂宇の多くが焼失しましたが、いくつかは現存し、昔の姿を留めています。上野公園で古寺名刹をめぐってみましょう。帰路は御徒町駅から。
上野駅公園口を出たら、ますは寛永寺根本中堂を目指します。江戸時代には現在の上野公園全体が寛永寺の境内地だったのです。上野公園をめぐるには、まずは最初にお参りしておきたいお寺です。寛永2年(1625)創建。戊辰戦争により伽藍の大部分が焼失し、明治12年(1879)に現在地に再建されました。再建とはいえ、建物は寛永15年(1638)築の川越喜多院の本地堂を移築したもので歴史が感じられます。
江戸幕府の初代将軍・徳川家康公の魂を鎮めるため、1627年に創建。3代将軍家光が金箔をふんだんに使った現在の建物へと大規模な造営替えを行いました。その後、戦争や震災などの災厄に倒れることなく、江戸の面影を現在に伝えます。2008年から2013年まで修復工事が行われ、よりきらびやかになっています。
地震や火災で顔面が落ちるなど度々破損し、第二次世界大戦では軍の供出令により、胴体を供出。顔面のみのレリーフとなった現在は、もう二度と落ちることがないため、試験に落ちない「合格大仏」として人気があります。お顔に触ってもOK。顔に触れる大仏は日本国内でも、多くはありません。
京都の清水寺を模した、舞台造りの清水観音堂。社殿の前には枝が月のように円を描いた「月の松」がたたずみます。月の松は、江戸時代の浮世絵師・歌川広重が「名所江戸百景」にも描かれた名木で、2012年に約150年ぶりに植樹され、復活しました。パンダで名高い「上野動物園」がすぐそばにあるため、かわいいパンダ守りなども授与しています。
上野公園を出て、アメ横にある名刹もめぐりましょう。徳大寺は摩利支天という気力・体力・財力の守護神を祀り、木魚を素早く叩き、大音量で読み上げられる読経と通過する鉄道の音とのコラボレーションが圧巻です。アメ横の賑やかな雰囲気を楽しみ、上野駅広小路口へと戻りましょう。
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